静岡の送り神行事
送り神の行事は、相良町、御前崎下岬、静岡市井川、静岡市美和足久保、静岡市腰越に見られます。凡そ共通する点として、「厄払いである事」「子どもが地域の社会にデビューする事」があります。静岡の地方によって異なりますが、御祓いをしながら各家庭を廻り、もちなどの食べ物、金銭などを戴いていく、という流れです。地方によっては其処で芸能をする事もあったようです。
もちや金銭などは、年長者が分配する、というのが大体共通するしきたりです。学校によってはそれを理解せず、禁止する事もあったようです。しかし送り神に限らず、祭りは地域の神を祀るというそのそもの由来があるのですから、学校が禁止する筋合いは無いと思います。
江戸時代以前、富士登山をするのは、山伏、山岳信仰者に限られてきました。仙元大日を信仰する富士講は、長谷川角行という修験者が開始しました。長谷川角行は、富士山麓の人穴で修行を積み、仙元大日を見ます。そして民衆に呪符を配り、病人を治すなどの霊験を新たかにします。これは16世紀~17世紀初頭の話です。
そして18世紀に入ると、食行身禄によって富士講は大きく発展します。食行身禄は信仰の男女平等を説きます。食行身禄は1973年の享保の大飢饉と米価高騰に怒りを表し、富士山中の烏帽子岩で断食し、入定します。これは瓦版で報じられ、江戸とその周辺に富士講の信者が増える契機となります。
富士講は各地域に存在し、「お焚きあげ」で厄払いをする法会を行いました。八百八講と謂われ、お伊勢参りと並ぶ程に流行るようになります。富士登山をした他の地方の人が、富士山の溶岩を持ち帰り、自分の地方の山の山頂にそれを祀る、という事も行われたようです。富士講には、参加者の資金が積み立てられ、順番に富士登山を行うというルールで動いていました。
参考文献
すぐわかる日本の呪術の歴史 武光誠監修 株式会社東京美術東京美術発行
静岡県子ども民俗誌 ハレの日の名優 吉川裕子著 株式会社静岡新聞社発行