江戸幕府開府~明治維新まで
江戸幕府開府以降、徳川家康は、1616年に没するまで、駿府城で政治の実権を握り続けます。1609年、徳川頼宣は駿遠50万石を与えられ、家康と同居します。1619年、頼宣は和歌山城主となり、家光の弟・忠長が駿府城主となりますが、改易され自刃します。その後、由比正雪の乱を経て、駿河・遠江の殆どが天領・旗本領となります。
東海道五十三次・菱垣廻船・樽廻船の通り道となり、駿府・遠江は発展します。白隠・福田半香・平井顕斎などを中心に、江戸庶民文化を盛り上げます。1854年、日米和親条約により、下田は開港されます。その後も、ロシアやアメリカの使節が来日し、下田は幕末の重要な外交拠点となります。
版籍奉還までは、徳川家達が駿府・遠江を治めます。この頃、駿府藩は府中学問所・沼津兵学校を設立し、学問の普及に努めます。版籍奉還以降、伊豆と相良で「足柄県」、静岡藩は「静岡県」、堀江藩は「堀江県」となります。堀江県は廃止され、駿河は「静岡県」、遠江は「浜松県」となります。伊豆七島を除き、伊豆と浜松、駿河の地域は「静岡県」となり、現在の区分けとなったのは1878年の事です。
参考文献
静岡県の歴史散歩 監修 式守富司 福田以久生 株式会社 山川出版社発行